りゅーとぴあ能楽堂『マクベス07』

今更ですが、残しておきます。本当に書きなぐり状態ですが・・・どうしても、書いておきたい。
いろいろな方のブログで06版がすばらしかったというのを読むたびに残念でなりません。でも、07版のこの舞台も、私にとっては何にも比べることのできないものです。
観劇日:2007年4月3日
観劇直後の感想


仕事着で劇場に駆けつける、というのは初めて。千駄ヶ谷駅から能楽堂に向ううちにだんだんあたりが薄暗くなっていく、というのがなんだか良い。雨が降りそうで降らないのも、また、良い。

あたりがざわざわしているのに、なんどなく氷のように張り詰めた空気を感じる。藤間紫さんのヘカテ登場。ああ、お能だな・・・と。


右近さんマクベスが魔女たちの予言を受ける所までは、あまり集中できませんでした。台詞回しもとても早口で、息も付かせぬ感じで、「小劇場芝居っぽいな」と少しだけ付いていけない感じも抱いた。歌舞伎役者の方たちはどんな落ち着いた台詞回しを聞かせてくれるのだろう、とただそれだけを楽しみにしていたり・・・。
魔女たちの衣装、何と言うのでしょうか、燕尾服の裾のような所がふわっと舞台の端から下がるのがとても素敵だった。彼女たちの発声には無理があるような気がして、どうしてもなじめなかった。太鼓を使った演奏は、その体の動き・リズムと合わさって本当に引き込まれるような気がした。


その反動(?)でか、笑也さんマクベス夫人が登場する時には緊張で息が上がってしまったくらい。笑也さんの台詞もやはり、「〜でしょう、どうして〜なの、ねえ、どうして?」と畳みかけるような、息もつかせない調子。それがなんとも・・・不安定さを醸し出していてこちらまで心をかき乱されるのだ。ここでのマクベス夫人は夫をけしかける、強い人間のはずなのにどこかに危うさを感じさせる不思議な姿だった。*1


寄り添う笑也さんと右近さんがなんともいえず一体で、一対で。身長からいえばそれこそ”アンバランス”なお二人なのだけれど、熟年夫婦と言うのかなぁ。目にしていて、涙が出てくるような嬉しさだった。


あの舞台の中で、という視点ではいくつか違和感を持った所があるのだが、一番気になったのは足音。橋がかりから出てくるときに、あんなにバタバタと足音を立てて出てこないでほしいな。やはりそこは能楽堂なのだから。
その点、鏡の松に囲まれた舞台の上は本当に、違う世界で、バンクォーが死をもってその世界から客席へ降りてきたという演出は衝撃的だったのだ。


最後の予言は能面をつけて出てくるが、どれがどなただか、話の流れからは掴めなかった。でも、役者さんとして猿若さんらしき方はわかったんだな・・・。


マクベス夫人の死は、あまりにも唐突だったかも。その前の気が違った演技があまりにも怖くて、印象が強かったから、それ以上のものを見られるような気がしていたのかもしれない。


最後、全てのできごとを舞台の奥から見つめているヘカテ。急に世界から全ての音がなくなったような気がする。まるで、舞台の初めから終わりまで、いや、世界の初めから終わりまでを見つめていたかのような。ある一人の王の時代が終わった、それは当然なのだけれどなんだかそれだけではなく、ひとつの歴史が、ひとつの世界が、ひとつの宇宙が終わって全てが無に帰った。そんな印象。
光の中で待つマクベス夫人は本当に優しくて、台詞はないのに笑也さんのやわらかい声が聞こえるようだった。スーパー歌舞伎八犬伝』の伏姫にやられた私ですから・・・。鐘の音に導かれて有限の世界へと帰っていくマクベス、いえ、右近さん。目を瞑っておられましたよね。汗の粒までもが見えて、一時も目を離せない。


そして、何もない、誰もない空間に、まるで空気から解け出てきたような藤間紫さんヘカテ。全ての物語が”昔”のことになり、舞台がセピア色になった気がする。杖で空気に書く文字は「大入」!*2”世界”が”舞台”に戻った瞬間だった。

この講演には、笑三郎さんがお見えでした。ちょうど、私の席から橋がかりを向くとその視界に入られるのですが。途中から、両手を組んで真剣に舞台に見入る姿が美男だな〜という感じで。どうして、舞台に上がるとあんなに落ち着いた味のある古風な女の人に化けてしまわれるのでしょう??? 本当に不思議です。

*1:笑也さんのブログによると、マクベス夫人は上半身が女形、下半身は男・つまり外輪で演じているのだそう。そこがアンバランスさにつながったのかな?

*2:あれ、初めは何を書いていたのでしょう? ご存知の方、教えてください。