三月大歌舞伎『義経千本桜』 ”道行”幕見&夜の部

観劇日:3月26日&11日(木の実〜すし屋のみ)

夜の部でも、開場前に鳴り物が入るのですね。知らなかった。

『木の実・小金吾討死』
幕開き、舞台中央で話しているお二人より下手で一人遊びをしている柿本明久くん倅善太郎に目が行ってしまいます。地面になにやら落書きをしている様子。商売をしながら、お手本を書いてあげる秀太郎さん小せんがなんとも、”働く母親”らしくて温かかった。


扇雀さん小金吾東蔵さん若葉の内侍澪夏ちゃん六代君の登場は、花道・鳥屋が見える席にして本当に幸せを感じる瞬間でした。床几に腰掛ける澪夏ちゃん、ずいぶん背が伸びた? と思っていたら、ほとんど立ったままでの演技をされているのですね。退場しようと立ち上がった時に初めて気付きました。後から登場する仁左衛門さん権太が子ども(六代君)好きそうな本当にいい奴に見えて、もちろんそれが旅人一行を油断させるためとわかってはいるのに騙されてしまいそうでした・・・実際、小金吾が荷物のすり替えに気付くまでストーリーを失念していたほどで。。。そうそう、石礫をあてて椎の実が落ちる仕掛けは、枝に付いた蓋がパカっと外れるもの。きれいにはじけていました。11日にはここからだったため、茶店小せんの物とは知らずにしばらくいました。それにしても、どう贔屓目に見ても小金吾より権太の方が肝っ玉も腕っぷしも強そうなのに、「武士をこけにして・・・」と憤る小金吾に、あらためて身分差の難しさを感じました。


小せん善太郎が戻り、温かいホームドラマのようなひと場面です。権太が発する言葉の汚さが何だかしっくりこない。そしてその言葉で「お前(小せん)を請け出すために悪事をはたらきどうのこうの・・・」と話し続けるものだからくすぐったくなってくる。言い訳なんだか惚気なんだかわからないようなこの台詞を、きっといつも聞かされているはずの小せんでも、恥ずかしくなってくるだろうな・・・そんな空気が秀太郎さんから立ち上がっているように感じた。ところで、ここでは善太郎は小さな入れ物で遊んでいますね。笛と一緒に、これも買ってもらったのかな?
倅の可愛さにコロっと参ってしまう権太ですが、少しでも威厳を見せようとしているような? 11日には善太郎は無邪気で、権太はメロメロで、という感じが声からだけでも伝わったのですが、楽はちょっと硬かったのかな?花道での権太小せんに仕掛ける悪戯が見たくて一階席を取ったようなものです。秀太郎さんの声と、くるっと後ろを向いてしゃがみこむ仕草が自然で、その動きにつれて周りの土や雑草が舞い上がるのが見えるようでした。


舞台はあっという間に替わって竹林の中での立ち回りとなります。竹が折れたりしなったり切れたり、と手の込んだ仕掛けです。一回目に観た時にはそれを知らず、小金吾がぶつかって斜めになった竹を見てハラハラしていました。縄を使った立ち回りも何度目かのはずなのですが、縄を順番に投げるのではなく人が縄の下をくぐって組んでいくのを見るのは初めてだったかもしれません。個人的にとっても好き、というか耳について離れないのが、扇雀さんの立ち回りをはさんだ「わ・か・ぎ・み・さ・ま・・・いの〜。」という声。高くて細くて、妙に色っぽかった。若さが足りない、という感想もちらほら読みました。11日には素人目に過ぎませんが落ち着きすぎて色気がないかな、などと感じていました。が、楽では本当に、ほとばしる血飛沫が見えるような、”生きている”と感じさせる、生命力あふれる若衆だったと思います。
居合、というのでしょうか。立ち回りの節々で芯となる人がハッと息を吐くのが見えたり聞こえたりします。テンポと、呼吸と、そんなものが役者さんたちの中でひとつになって、いつしか客席まで呼吸がひとつになっていくようです。
最後の一場、普通のお爺さんのように登場する左團次さん弥左衛門が、ふとした瞬間からなりを変え、キリっとして幕切れで刀を振り上げる。その張り詰めていく空気は、なんともいえず清いものでした。そういえば、首を落とす掛け声は聞こえなかったような・・・?