引っ越します

ayameusui2007-05-21


一年半お世話になった”はてな”ですが、このたびJUGEMに引っ越すことにしました。デザイン設定が少し難しい・・・。

新しいアドレスはhttp://ayameusui.jugem.jp/です。


頂いたコメントはできるだけ移行したのですが、その一部とTBは無理でした・・・。こちらも、できるだけ残しておきます。これで、TBも頂きやすくなると思います。
これからもゆっくりと記録していきますので、どうぞよろしく!

あやめ

りゅーとぴあ能楽堂『マクベス07』

今更ですが、残しておきます。本当に書きなぐり状態ですが・・・どうしても、書いておきたい。
いろいろな方のブログで06版がすばらしかったというのを読むたびに残念でなりません。でも、07版のこの舞台も、私にとっては何にも比べることのできないものです。
観劇日:2007年4月3日
観劇直後の感想


仕事着で劇場に駆けつける、というのは初めて。千駄ヶ谷駅から能楽堂に向ううちにだんだんあたりが薄暗くなっていく、というのがなんだか良い。雨が降りそうで降らないのも、また、良い。

あたりがざわざわしているのに、なんどなく氷のように張り詰めた空気を感じる。藤間紫さんのヘカテ登場。ああ、お能だな・・・と。


右近さんマクベスが魔女たちの予言を受ける所までは、あまり集中できませんでした。台詞回しもとても早口で、息も付かせぬ感じで、「小劇場芝居っぽいな」と少しだけ付いていけない感じも抱いた。歌舞伎役者の方たちはどんな落ち着いた台詞回しを聞かせてくれるのだろう、とただそれだけを楽しみにしていたり・・・。
魔女たちの衣装、何と言うのでしょうか、燕尾服の裾のような所がふわっと舞台の端から下がるのがとても素敵だった。彼女たちの発声には無理があるような気がして、どうしてもなじめなかった。太鼓を使った演奏は、その体の動き・リズムと合わさって本当に引き込まれるような気がした。


その反動(?)でか、笑也さんマクベス夫人が登場する時には緊張で息が上がってしまったくらい。笑也さんの台詞もやはり、「〜でしょう、どうして〜なの、ねえ、どうして?」と畳みかけるような、息もつかせない調子。それがなんとも・・・不安定さを醸し出していてこちらまで心をかき乱されるのだ。ここでのマクベス夫人は夫をけしかける、強い人間のはずなのにどこかに危うさを感じさせる不思議な姿だった。*1


寄り添う笑也さんと右近さんがなんともいえず一体で、一対で。身長からいえばそれこそ”アンバランス”なお二人なのだけれど、熟年夫婦と言うのかなぁ。目にしていて、涙が出てくるような嬉しさだった。


あの舞台の中で、という視点ではいくつか違和感を持った所があるのだが、一番気になったのは足音。橋がかりから出てくるときに、あんなにバタバタと足音を立てて出てこないでほしいな。やはりそこは能楽堂なのだから。
その点、鏡の松に囲まれた舞台の上は本当に、違う世界で、バンクォーが死をもってその世界から客席へ降りてきたという演出は衝撃的だったのだ。


最後の予言は能面をつけて出てくるが、どれがどなただか、話の流れからは掴めなかった。でも、役者さんとして猿若さんらしき方はわかったんだな・・・。


マクベス夫人の死は、あまりにも唐突だったかも。その前の気が違った演技があまりにも怖くて、印象が強かったから、それ以上のものを見られるような気がしていたのかもしれない。


最後、全てのできごとを舞台の奥から見つめているヘカテ。急に世界から全ての音がなくなったような気がする。まるで、舞台の初めから終わりまで、いや、世界の初めから終わりまでを見つめていたかのような。ある一人の王の時代が終わった、それは当然なのだけれどなんだかそれだけではなく、ひとつの歴史が、ひとつの世界が、ひとつの宇宙が終わって全てが無に帰った。そんな印象。
光の中で待つマクベス夫人は本当に優しくて、台詞はないのに笑也さんのやわらかい声が聞こえるようだった。スーパー歌舞伎八犬伝』の伏姫にやられた私ですから・・・。鐘の音に導かれて有限の世界へと帰っていくマクベス、いえ、右近さん。目を瞑っておられましたよね。汗の粒までもが見えて、一時も目を離せない。


そして、何もない、誰もない空間に、まるで空気から解け出てきたような藤間紫さんヘカテ。全ての物語が”昔”のことになり、舞台がセピア色になった気がする。杖で空気に書く文字は「大入」!*2”世界”が”舞台”に戻った瞬間だった。

この講演には、笑三郎さんがお見えでした。ちょうど、私の席から橋がかりを向くとその視界に入られるのですが。途中から、両手を組んで真剣に舞台に見入る姿が美男だな〜という感じで。どうして、舞台に上がるとあんなに落ち着いた味のある古風な女の人に化けてしまわれるのでしょう??? 本当に不思議です。

*1:笑也さんのブログによると、マクベス夫人は上半身が女形、下半身は男・つまり外輪で演じているのだそう。そこがアンバランスさにつながったのかな?

*2:あれ、初めは何を書いていたのでしょう? ご存知の方、教えてください。

桜、春の花たち

のっけから大きな画像ですが・・・。

公民館へ行く途中に立ち寄った八幡様。つい数日前には白い山桜がはらはらとそれは美しく散り落ちていましたが、今日はこちらが満開。
そういえば桜って。ピンク色ではないのですよね。つぼみの状態ではかなり濃い色だけれど、咲いた花びらは白に近い淡〜い色。先日観てきた舞台を思い起こすと、少しだけ不自然さを感じたりもします。でも、舞台の桜はどうしてもあの色、なのですよね。
ついでながら、サントリー伊右衛門のCM最新作で宮沢りえさんが着ておられる着物は、本当に桜色です。帯締の緑からも目が離せないのですけどね。



こちらは、山吹の花。以前にも書きましたが、大田道灌ゆかりの神社とのことで植えられているそう。
そして。



神社の境内にある御舞台。使われているのはこの5年で見たことがない・・・と思っていましたが、母曰く初詣の時に舞を見たとのこと。風で吹かれたのでしょうか、松の枝が挟まっていました。まるで、舞台で使われてそのまま忘れ去られた小道具のように・・・。

三月大歌舞伎『義経千本桜』 ”道行”幕見&夜の部

観劇日:3月26日&11日(木の実〜すし屋のみ)

夜の部でも、開場前に鳴り物が入るのですね。知らなかった。

『木の実・小金吾討死』
幕開き、舞台中央で話しているお二人より下手で一人遊びをしている柿本明久くん倅善太郎に目が行ってしまいます。地面になにやら落書きをしている様子。商売をしながら、お手本を書いてあげる秀太郎さん小せんがなんとも、”働く母親”らしくて温かかった。


扇雀さん小金吾東蔵さん若葉の内侍澪夏ちゃん六代君の登場は、花道・鳥屋が見える席にして本当に幸せを感じる瞬間でした。床几に腰掛ける澪夏ちゃん、ずいぶん背が伸びた? と思っていたら、ほとんど立ったままでの演技をされているのですね。退場しようと立ち上がった時に初めて気付きました。後から登場する仁左衛門さん権太が子ども(六代君)好きそうな本当にいい奴に見えて、もちろんそれが旅人一行を油断させるためとわかってはいるのに騙されてしまいそうでした・・・実際、小金吾が荷物のすり替えに気付くまでストーリーを失念していたほどで。。。そうそう、石礫をあてて椎の実が落ちる仕掛けは、枝に付いた蓋がパカっと外れるもの。きれいにはじけていました。11日にはここからだったため、茶店小せんの物とは知らずにしばらくいました。それにしても、どう贔屓目に見ても小金吾より権太の方が肝っ玉も腕っぷしも強そうなのに、「武士をこけにして・・・」と憤る小金吾に、あらためて身分差の難しさを感じました。


小せん善太郎が戻り、温かいホームドラマのようなひと場面です。権太が発する言葉の汚さが何だかしっくりこない。そしてその言葉で「お前(小せん)を請け出すために悪事をはたらきどうのこうの・・・」と話し続けるものだからくすぐったくなってくる。言い訳なんだか惚気なんだかわからないようなこの台詞を、きっといつも聞かされているはずの小せんでも、恥ずかしくなってくるだろうな・・・そんな空気が秀太郎さんから立ち上がっているように感じた。ところで、ここでは善太郎は小さな入れ物で遊んでいますね。笛と一緒に、これも買ってもらったのかな?
倅の可愛さにコロっと参ってしまう権太ですが、少しでも威厳を見せようとしているような? 11日には善太郎は無邪気で、権太はメロメロで、という感じが声からだけでも伝わったのですが、楽はちょっと硬かったのかな?花道での権太小せんに仕掛ける悪戯が見たくて一階席を取ったようなものです。秀太郎さんの声と、くるっと後ろを向いてしゃがみこむ仕草が自然で、その動きにつれて周りの土や雑草が舞い上がるのが見えるようでした。


舞台はあっという間に替わって竹林の中での立ち回りとなります。竹が折れたりしなったり切れたり、と手の込んだ仕掛けです。一回目に観た時にはそれを知らず、小金吾がぶつかって斜めになった竹を見てハラハラしていました。縄を使った立ち回りも何度目かのはずなのですが、縄を順番に投げるのではなく人が縄の下をくぐって組んでいくのを見るのは初めてだったかもしれません。個人的にとっても好き、というか耳について離れないのが、扇雀さんの立ち回りをはさんだ「わ・か・ぎ・み・さ・ま・・・いの〜。」という声。高くて細くて、妙に色っぽかった。若さが足りない、という感想もちらほら読みました。11日には素人目に過ぎませんが落ち着きすぎて色気がないかな、などと感じていました。が、楽では本当に、ほとばしる血飛沫が見えるような、”生きている”と感じさせる、生命力あふれる若衆だったと思います。
居合、というのでしょうか。立ち回りの節々で芯となる人がハッと息を吐くのが見えたり聞こえたりします。テンポと、呼吸と、そんなものが役者さんたちの中でひとつになって、いつしか客席まで呼吸がひとつになっていくようです。
最後の一場、普通のお爺さんのように登場する左團次さん弥左衛門が、ふとした瞬間からなりを変え、キリっとして幕切れで刀を振り上げる。その張り詰めていく空気は、なんともいえず清いものでした。そういえば、首を落とす掛け声は聞こえなかったような・・・?

やったぁ、吉野川!

六月のチラシができていたので、戴いてきました。昼の部第一演目が、妹背山より久我之助と雛鳥の二場。


一番、観たかった演目に、通い始めてたった一年、しかもちょうど一年目に出会えるなんて!
しかも、定高は藤十郎さん、恋人達は梅玉さんと魁春さんの兄妹じゃなかった、御兄弟です。


これは、四五月がまんで働くしかないですね♪