胸が締め付けられるって、こういうこと

ayameusui2006-06-30


第二楽章 沖縄から~ウミガメと少年~野坂昭如作
(ジャケット:ビクター公式ページより)→
やっとのことで、手に入れました。

6月25日に吉永小百合さんによる朗読会がありました。別の予定があって私は行けなかった。ので、早くCDで聞きたかったのです。


①いつもながら男鹿さんの絵はすばらしい。けれど海の絵を拝見するのは初めての気がします。冊子の裏表紙に描かれた波打ち際の風景は(残念ながらアップできませんが)、たぶんそこに人が住み始める前から、住んでからも、戦いの時も、今も変わっていないのだろうな、と想像させます。

②朝、部屋を片付けながら一回目。玄関で靴を磨きながら二回目。そのどちらの時も、”あの”場面では手を止めずには居られませんでした。大事にしていた卵が命に変わる時。。。とてもとてもとても悲しくて、言葉ひとつひとつに動きを止めて聞き入ります。

③どこかで書いたかもしれない、「人間以外にとっての戦争って?」
わすれていてごめんね―夾竹桃物語
でも感じたこと。最近よく「他者に対する想像力の欠如」という言葉を耳にするけれど、果たして”他者”としてどこまで意識しているのかな? 「わすれていてごめんね」の夾竹桃たちだって、「ウミガメと少年」のウミガメだって、”自分”に対しては”他者”なんだよね。

④自分の立場が変わってきたのを感じます。なんというか、"母"のような目でいろいろなものを見ることが多くなってきたような。私は母でもなくそんな予定もないのですが。まあ、これについてはまた別項目で書こうかな。とにかくこの物語を聞いていても、少年よりはウミガメの母親に感情移入したり。もしくは客観的に、つまり少年を見守っている気分で聞いていたり。
これまでの「第二楽章」に比べて当事者の言葉ではないことも、理由の一つかもしれません。

『第二楽章』・・・詳しくは2005年8月の記事へ。(http://d.hatena.ne.jp/ayameusui/20050806