Radiogenic リーディング・スペクタクル『下町日和』

8月19日公開

 60年代の東京とか、荒川の土手とか、野球場とか、路地裏とか。“郷愁”を感じさせるに充分なアイテムが提示される。残念なことにそれらは私のそれとはマッチしない。けれど、古藤さんの語りで真夏の土手へと誘われていく。


”下町日和”

  • 前半部分『下町日和』は、恥ずかしくなるような、理想的な、心にお花畑が広がるような素敵な・・・。絹江を皮切りに交互のモノローグで進んでいく。何度も繰り返される「絹江だよ。」に、田舎の制服を着てお下げ髪の少女が浮かんでくる。「明日は、きっといい日になるよ。」・・・“昨日よりも今日、今日よりも明日輝いて、下さい。”と、願う私の心。あ、自転車はじ「てん」しゃと言っていたね。
  • 右近さんがとにかく、上手い。軽快! 長屋、違ったアパートのおかみさんとのやりとりは本物の落語を聞いているようだった。軽い話でも重い話でも、おなかの辺りにずしんと来る一人語り。それでも、時々おどけたり慌てたりするところが『Konishiki』の時の段治郎さんそっくりで(いや、逆か・・・)、初演では右近さん北森クンを演じられたのにも、納得。そして、この後に出てくる弟の銀二とまた、いい対をなしているんだな〜。
  • 二人の出会いはどこにでも転がっていそうな、それでいて現実にはありえなさそうな打算も何もない物語。『下町日和』そのものが、どこにでも転がっていそうな、でもありえなさすぎる理想的な恋の物語なのだ。そして、、、爆笑! 笑って笑って、爆笑するけれど、それで心の鎧が落ちて、ついでに泣けてくる。初めての男性*1に警戒していた絹江がだんだん心を開いていくのに、同化するように。
  • ほとんど身じろぎせずに声と微笑み、たまに口を尖らせるような表情だけで演技をする春猿さん。怪訝そう・・・な表情がとてもお上手で、これは最後の最後、「プリンセス?」でも健在だった。そういった表情、それから首をかしげるのも、演技と言うよりは無意識に近いものなのだろう。右近さん段治郎さんはわりと、足の組み方や体勢を変えたり顔の向きを変えたりして演技をしていたので、男女の表し方の違いなのかな〜と漠然と感じた。
  • 「名前で呼んで」「恥ずかしい・・・」って、これはもういつの時代の少女マンガか、はたまた官能小説か。こちらの方が恥ずかしくて、顔も上げられなくなってしまった・・・ので、役者さんたちの表情を見損ねてしまったのがもったいない。
  • この辺でじ〜んと来たのがのひとこと。絹江が遠慮がちに笑うのに「その”んふふふ”って、笑ってんすか? 絹江ちゃんに、想いっきり笑って欲しいんだ。」これまたこっ恥ずかしくなるようなセリフだけど・・・いいなぁ。
  • 想いを込めて打った渾身のホームラン。絹江さんへ、お母ちゃんへ、弟の銀二へ。。。そして「絹江の未来に届くといいな。未来の絹江に会いたいな。」思い出してもほろっときます。未来の好きな人に会いたい。そうでなくても、昔の舞台映像を見ていると「この拍手、届いて」って思う。でも過去を向くのは現実的ではないからやっぱり、「この拍手、未来にまで届いて!」。あ、の好きなロックンローラーって、プレスリーだったのか。

あっという間の50分間でした。

”歌舞伎町”

  • 段治郎さんと共演するのは・・・えっ、女性なのか、と。変な驚き。数ヶ月間歌舞伎漬けで女優さんの演技を見て/聞いていない私の感性はどう狂っているのか、そんな、嘘のようなドキドキを抱えて聴く。
  • 高橋かおりさんは、”不思議なお姉さん”で段治郎さんをくるんでしまっていた。落語の口調でおどける段治郎さんは、その時だけ首がくりくりっと動く。声を出すと、自然とそうなってしまうものなのかな。
  • このセクションの曲が、好きだ。『Konishiki』の時と同じ曲ですね。千住さん?

”聖夜のリボン”

  • 一日に二度目の“聖夜”。たった一つだけれど前にエピソードが挟まるだけで、二人の距離がぐんと縮まったことを感じてほほえましく思う。
  • 始めの方で、制服を着たお役人のことで二人の間に軽い諍いが起こる。これがどうも、理解できないな・・・。”教会”とか”いい暮らし”に押しつぶされそうになって、当り散らしたくなってしまったオトコの子、そんな姿に見える。
  • 星の王子さま・・・読みたかった。」と、絹江の声が詰まる。けれど、ト書きでは立て直している。演技なの・・・? 私もこんなに泣きそうになっているのに。
  • クリスマスツリーに明かりが灯る瞬間、天上からの音楽と共に光が落ちてくる。舞台の二人が見上げるまでもなく、空を仰ぎたくなる。「ありがとう、とおる。」私も、お礼を言いたくなる。それほど、美しい夜だ。
  • 最後には、二人同時に目を閉じて聖なる夜を味わっていた。


”妖精の足跡”

  • 再びの銀二、今度は優しいお兄さんで、段治郎さんにメロメロになってしまう人の気持ちもちょっと、ちょっとだけわかる気がした。「マブダチ」という言葉が似合わなさすぎて、それでもおもしろい。
  • 「死んだ人の年はどうやって数えればいいんだろう。」

三つの物語で、名前のやり取りをする男女。

”花火”

  • 未来の話、のように感じられる。私が知っている聖夜の二人から、半年の未来。そもそも彼らの物語は過去形で語られるから、もしかして帰結する場所はまだまだ先、なのかもしれない。
  • これがまたこっぱずかしくなるほどの素敵な夕暮れ。ひとつめの花火に「おめでとう、絹江」って、何て素敵なんだろう。一瞬、絹江のお祝いごとをすでに知っているのか、と思った。そうではないんだ。何かの節目に「おめでとう」と言いたくなる気持ち。それが、とても素敵なんだ。
  • それでも、そこに灯籠が流れてきてはそれに夢中になる。もしかしたら、もしかしたら。この川の上流には銀二藤子がいて、死んだ母と親友のために灯籠を流しているのかもしれない、とふと考えた。会えたらいいな、銀二
  • 秘密が共有されるのは思い出の草野球場で。耳元にそっとささやくのだ。・・・「愛していると言わずに、人を愛さなければならない。」絹江の恥ずかしそうな高い声から一転、スピーカーから聞こえるのは低い声だったから、びっくり。体に何かがばしっと当たった感じ
  • 今ふと思い出すと、若い二人の男女が目に浮かんでくる。決して、春猿さんとか右近さんみたいに素敵な人たちではなくて、暗闇の中に消えて誰も目を向けないような若い人たち。。真新しい浴衣を着て伏し目がちに、足元の石をよけながら歩く絹江と、ラフな格好をしていて軽く振舞っているけれど、すごく絹江を大切に歩いていると。
  • 最終章は、暗転、絹江のナレーション(モノローグ)の後、そのままの姿勢でしっとりと始まる。と思ったら、のパパ馬鹿ぶりと言葉に爆笑させられ続ける。例えばバズーカ砲・・・始めはバズーカ“法”が浮かんで笑っていたけれど、どかーんと効果音が入ったらもう、止まらなくなってしまった。
  • 春猿さんは、一人でつらつらとセリフをながすより掛け合いとか突込みがお上手なのね。が変なことを言った後、とてもいい間を置いて「ラマーズ法・・・?」その、小首をかしげて唇を突き出す感じが、計算しつくされているのか天性のものなのか。
  • いつのまにか、”顔はいいけど頭はわりい”はずの絹江さんにつっこまれ続けている^^;。
  • 「おまんじゅうを差し上げる」*2ではさすがに絹江も声が笑っていた(演技かどうか、見損ねてしまった。だって、涙で目が開いていられないんだもの)・・・・・・これってもしかして! 第一話の「絹江ちゃんに笑ってほしい」からつながっている演技??? まさか???
  • けれど、は良い事を言うのだ。「仏壇にお饅頭を供えるようなもんじゃねえか。」あぁ〜! 「小耳けーしょん」も、「耳元で大事な事を伝えるような(だったっけ?)」、って、まさに「いい事言うじゃねえか。」
  • 言葉の限り愛と感謝を伝えるに「ありがとう」と。ちょこっとお辞儀をしたのだ、絹江こと春猿さんは。胸のすぐ下の部分を折って、「ありがとう」と心からお礼を言ったのだ。その後の右近さんのセリフが湿っていたのは気のせい? 二回目の「ありがとう」はそのままだったけど。
  • 赤ちゃんの名前、桜ちゃんと桜丸くんで笑いが起こっている時、私の頭には白菊丸が浮かんでいました、なぜか。え、そんな縁起悪い名前やめようよ、って。考え直して鈴之助くん(漢字は当然、これですよね?)と小鈴ちゃんこの二人のネーミングセンス、猫の”ゆであずき”改め”うさぎ”ちゃんからして別世界ですからね・・・。
  • 星の「王子さま」と対になるかのように、産まれてきたのはプリンセス、王女さま。お父さんとお母さんの、宝物だ〜。お二人で「小鈴」と呼びかけるのが最後のセリフとは気づかなかったので、終った感じがしなかったのです、実は。その声に母親らしさ、父親らしさがなくて、それが物足りないような嬉しいような。
  • 物足りないといえば、第一話で伏線のようになっていたホームランボールは、小鈴ちゃんを抱いた絹江さんの許に届いたのかな・・・。知りたかったな・・・。
  • それはともあれ、幸せな、家族になってね。

このお芝居にはお母さんとかお父さんとか妹とか弟とか、とにかく家族がちりばめられていて、ものすごく嬉しくなるんだ。それをこのお芝居のメッセージと捉えることもできるけれど、そうではなくて単純に嬉しい。最終章では「お父さんとお母さんはこうやって私が生まれてくるのを待っていてくれたのかな」なんてね、一昔前のマンガに出てきそうなベタなセリフが使われてしまう。

 歌姫が、バーにあるようなマイクを手に『林檎の樹の下で*3』をポップス調に歌い上げる。手拍子、カーテンコール。出演者たちも、一緒に手拍子を始める。右近さんは意外にもなんというのか、“かっこいい”叩き方。ふと春猿さんに目を向けると・・・。指をそろえたまま、これ以上なく“らしく”手拍子しておられました。
 客席扉から退場、すぐにまた舞台に現れ、みんなで手をつないでお辞儀。歌姫を中心に。手を振って・・・袖へ退場していきます。しかし、これで満足するお客じゃない。あのアップテンポにあわせてアンコール手拍子! 再び、舞台から現れてくれました。
 こんどこそ客席から、さようなら。下手側に退場する春猿さんはおどけて、中村中さんの肩を両手で押して走る真似をされました。もしかして中村さんの歩き方が優雅すぎてノロいんで、「はやくしてよっ」ってつもりだったのかもしれません(笑)。いやほんと、歌舞伎役者さんは歩くのが早いのです。ほぅっ、やっぱり背が高いんだ(そういえば白っぽい靴はヒールがあったようにも見えました。)。


 苦手な現代もので、しかも恥ずかしくて顔を上げていられなくなるような素敵な物語。「21世紀の世話物」と銘打たれるのにふさわしい。
世話物って、こういうことなんだね。身近で、誰もが「起こってほしいな〜」と空想する生活を、大好きな役者さんが演じているのを見て楽しむ。本当に、楽しかった。


疲れた時には、うさぎになろう。そうしたら、
かわいいお譲ちゃんが声をかけてくれるかも知れないから。
明日はきっと、もっといい日になるよ。」

そうしたら私も負けずに、返してあげよう。
明日はきっと、もっといい日になるよ。」


コア作である『優雅な秘密』の最後で、目覚めたクドウ(右近さん)が、「夢を見ていた・・・みんないい奴でさ、友達になりたくなるような・・・」と言います。
この、『下町日和』を聴き終わると本当に、苫小牧徹さんや田中・・・いや、苫小牧絹江さんと友達になりたくなります。すてきな、お芝居でした。

*1:いや、良く思い出してみると「今まで三人の人と付き合ったけど」って言ってますね。

*2:あれ、”バズーカ砲”のところだっけ?

*3:In the Shade of Old Apple Tree・・・70年代くらい? に、舞台音楽で流行ったものらしいです。本場アメリカより、日本で売れたとか。