八月納涼歌舞伎 第二部

八月佳日よく晴れた夏の日歌舞伎座へ。もう、目を瞑っていても行けるかも・・・!?

『吉原狐』

福助さん、である。六月に初めて『暗闇の丑松』を幕見した時、声にちょっと苦手を感じてしまった、が、なにしろ福助さん。この方には踊りといいお芝居といい、魔力のようなものがあるのです。楽しみで仕方がなかった。
歌舞伎の舞台にいる花魁は大好きだ。孝太郎さん花魁誰ヶ袖は癖がなくて清潔な感じで、ひきつけられた・・・のに、だんだん周りのテンポに慣れてきてしまって、そのおっとりさ加減がじれったくなってきてしまう。困ったものです。
花魁見習いの新造猿紫さんと、なんと喜久於さん喜久於さんの女姿は、という以前に名のある役を拝見できるのはは初めて、嬉しかったです。慎み深い雰囲気、意外と小柄な方です。猿紫さんはお顔も派手で芸者らしく、とても素敵なのだけれど、どこかお行儀の悪さを感じてしまう。
初めてのサイド席は、予想以上に舞台が近くて驚いた。お座敷の後ろ(廊下)までよく見えたのだが、川が流れているような気がしたのは・・・何だったのでしょう? 結局、後ろの廊下からは誰も現れなかったので、次の舞台の上にお座敷を組んでいただけなのでしょうか。


お茶を入れるのが好き(?)な三津五郎さん三五郎。心のあったかいおとっつぁんらしさを感じました。夏らしく、土瓶のお湯をいったん平茶碗に空け、それから急須を扱う。箪笥の上におきちのお土産が置いてあったり、蚊遣りとか団扇置きとか。夏らしい、家の様子が目を楽しませる。家の上手側脇に咲いていた夕顔は、七月の『夜叉ヶ池』で使われたもの? なんて、考えてみるのも楽しい。暮れの鐘の音なんて、そのものだしね。
西側席だったので、建具の後で蝶紫さんの助けで着替えるおきちが丸見え。真っ赤な襦袢がどこまでもお似合いだった。で、着付けをじっくりと。腰紐を二本使って締めた後、帯は左巻き。結ぶのに、蝶紫さんはだいぶ手間取ってしまっていたようでした。それに焦れてか関係なくか、父親とのやり取りをしながら、せわしなく帯の回りで手を動かす福助さんがまた、おきちらしい、と思った。

扇雀さんお杉、一番好きだった。写真などで拝見する扇雀さんはどの役でも苦手に感じてしまうのだけれど、初めて舞台を拝見して、いっぺんで好きになった。本物は観るべきだった。観てよかった。声がきれい、慎ましやかなところ、恥じらい、そして意を決して“母”だと名乗ってしまう強さ。きれいでした。
秀調さんも、楽しみ。六月の国立劇場が忘れられなくて。目立つ動きはないし私の席からはほとんどお姿が見られなかったのが残念。けれど、秀調さんが動き、話すと空気がすっと重みを増し、それでいて清浄になる。


二幕二場、刀を抜く染五郎さん貝塚采女を恐れて、建具の後に隠れてしまう芝のぶさん。ひと段落着いたところで後からそ〜っと顔を出すので初めて気がついた。その動きとか、驚きの表情とか、涙を拭くのに手ぬぐいをよいしょ、と引っ張り出すところとか、全てに可愛らしさの芯が通っていた。これが見られたのも、西側席ならでは。
全てが片付いたと思えば、最後におきちの前に現れてしまう越後屋孫之助、落ちぶれたちょっといいオトコが信二郎さん。そのお顔を真正面に拝んでしまったのですから、私も思わず「コーン!」なんちゃって。

ああ、楽しかった!!! そして、要所要所でおきちと三五郎、三五郎とお杉、三五郎と采女、そして引っ込みのおきちと三五郎のやりとりが場を締める。夏らしく、すっきりと気持ちのいい、後味の爽やかな舞台でした。

あ、残念ながら花道は全く見えないので「お父ちゃん」「おきち」というほのぼのとした呼びかけだけを楽しみました。
実は、前列にいた団体さんが立ち上がって花道を覗き込み、見えないどころか提灯の上に落っこちるのではないかと気が気でなかった、という嬉しくないおまけ付でしたけど。