七月大歌舞伎(泉鏡花)『山吹』『天守物語』二回目

まずは。
ここをご覧になってはいないと思いますが、「三階正面席の、どなたか存じませんが、本当にありがとうございました。心から、感謝します。」あまりに思いがけないことに、そのご好意を無駄にしないように精一杯見て参りました。


さて、7月20日は大変な”芸術家”であった祖父の命日でもありますので、隣の座席にでも一緒にいるつもりで「この舞台、この芸、おじいちゃんならどんな感想を言うだろうか。」と思いながらの観劇でした。

関連記事:2006年8月22日

いつものことではありますが、「事実」と「感想」と「希望」の入り混じったものになっています。

また、例によって特に役者さんの名前が書いていないものは、春猿さんについての記述であること、ご承知置きください。

さらに。基礎情報・・・つまり出演者、筋書きなどについて歌舞伎座情報ページ、及び他の方のすばらしいブログをご覧になることをお勧めします。どうも、苦手なんですね・・・。

『山吹』
 責め場の後、人形遣いが過去の罪を語っている部分から。四階席とそう離れていないはずなのに、歌六さんの言葉にぐいぐい引き込まれていく。二回目ということで、“先が読め”ていたから、かもしれないけれど。長いセリフ、内容も盛りだくさんなのに、変に強弱(軽重)をつけずに淡々と、しかしどの言葉も大切に語られる。だから、「朝に、晩に、この身体を折檻されて」とか「美しいお女中様」とか「おありがたい責折檻」とか、ちょっと顔をしかめたくなるような言葉でも、なくてはならないものとして受け入れることができる。
 そんな中、身じろぎ一つしない縫子と島津。それなのに少しずつ体勢と表情を動かしている笑三郎さんは、何度言っても言い足りないくらいすごい役者さん(実は今、「邦楽ジョッキー」を聞いています。不思議な感じ)。島津への恋を打ち明ける長セリフでは、表情がとても柔らかく、う〜ん何て言うのだろう、春先の可愛い花のよう。笑三郎さんのこういう様子が見られると、とても嬉しい。杯を交わすために座に着く前、髪を手で梳いたり襟元を直したり、といった仕草がまた、嬉しい。
 島津って・・・仕事もですが、同じ現実として奥さんはどうしたの? 仕事=jobではなくて、いろんなしがらみ、そういうことですね。

<気になる言葉>
寒い時寒い、と言うほど以上には、お耳には留まらなかったでございましょう。」(縫子)


幕間、売店をふらふら回りました。壁にずらりと貼られている舞台写真、ああ、これですね、ブロマイドって。しかし、なぜ『雪乃丞』の写真まで? 幕見では味わえない、ぜいたくな空間です。
写真を見ていると、『夜叉ヶ池』で百合と白雪のお化粧が違ったように見えたの、実は白髪の百合が黒髪になる時点で白粉が濃くなっているのだとわかりました。

天守物語』 一分の隙もない舞台
 まだ明るいうちから「とぉ〜りゃんせ〜」が始まり、ざわざわとしたまま真っ暗に、そして幕開き。まだお客さんが席に着いたり動いたり、ざわざわしているのに、そこはもう天守なのです。見事! 女童たちは、だいぶ“演技”っぽさが抜けてかわいらしかったです。腰元たちの中では女郎花役・・・あ、やっぱり玉朗さんね、透き通った声で、飛びぬけた美しさ。

 富姫の登場、この後何度も使われる笛? の音に、なつかしさを感じる。わくわくしているはずなのに、心を鎮めるような不思議なもので、その選曲が見事だと思う。

 富姫の語りの中で、無駄の一つもないように思える鏡花の言葉に、実はコトバ遊びがかなり含まれていることに気付く(重い『山吹』にもけっこうこれがあって、それを見つけると楽しく見られるかも)。例えば「うようよ集(たか)って、あぶあぶして」なんて、本当に人間を何だと思ってるんじゃい、と突っ込みたくなる始末。そうでなくても、終始“ひょっとぼけた”(ひょっとこではありません、念のため)富姫に、またふと祖父を思い出したりして。こういう人だったんです、どっか一本ひょいっとかわすような。

 二度目の「通りゃんせ」、ちょっと子役たちの声が上がりきらないようでした。毎晩毎晩歌って、疲れているもんね。




 亀姫の登場。しつこいくらい書きますけれど、いい音楽です。好みとして、歌舞伎で録音とかマイクを使うのはいただけないのだけれど、演劇として観ればすごく、嬉しくなる盛り上げ方なのですから。出、入りとも、(中立ちでさえ)大きな拍手が沸いていました。
 春猿さんは、第一声の「お許し」を聞くに一週間前より声がはっきりして、それでもキツさが薄れていたのでとても聞きやすかった。どうかすると同じ赤い衣装を着た富姫の女童たちより子どもっぽく(いい意味で)見えたりして、始終頬を緩めて舞台を見守りたくなった。生意気なことを言うようだけれど、これまで周りの役者さんとのバランスから“妹分”を演じられることが多かったのが、生かされているのかも・・・。相手を立てるコツを心得ていらっしゃるのかも。


 お酒を飲む振り(真似の“フリ”、ではなく振り付けの“振り”に見えました)をする場面、ばっちり見ましたよ。お上品なのに、一人で晩酌しているような崩れた小気味よさもあって、とにかく楽しい。キセルを口にする表情、特に目の流れも、いたずらっぽい。おかしな喩えだけれど、高校生がこっそり一服しているような。華と粋の演技、一歩間違えれば芸者になるところを、この悪戯っぽさで全くそうはさせない。そういえば「近頃は・・・」のセリフは、キセルに火をつけて口に持っていく手をじっと追う亀姫の視線に気付いて出てくるもの、という流れがよくわかった(ちょっと、犬っぽい^^)。物語が、細かいほど良く作られている印象。

 二人のやり取りは、今回は「蝶がひらひらと」と言うよりは水がさらさらと流れる感じ。つい、っと止まる瞬間がない、というのかな。春猿さんの「上げません」の“しな”とか語尾の「〜ですよ」が富姫(=玉三郎さんとはどうしても思えない)にあまりにも似ていて、ちょっと悲しい。この路線で行くなら、“お姉ちゃんの真似をしてみたい幼女”のように徹底して同じにしてみたら、もっと楽しめそうです。


 富姫様は、演技がとても細かくなった、言ってみれば常に動いていらしたように思います。視線を集めて。首の場面とかね。ここ、腰元たちが身を乗り出すのを窘めるところがあるのですが、「はしたない」と窘めると言うより自分の照れ隠し、と言った意味合いですね。もう、お客さんも(さすがに「おいしそう」とは思いませんが)門ノ助さんに引き込まれちゃってますから、ハッと我に返ります。

 毬つきの出と入りでの”捨て台詞”がちょっと気になりました。鏡花作品の言葉を徹底して大切にしているから、セリフを付け加えたりはしないと勝手に思い込んでいたのですが、「お姉様はお上手」「貴女にはもうかないません」などなど。それなりに、楽しかったです。
亀姫最後の場面、「大事ない、大事ない」はよく聞いてみたらやっぱり、「ない」のほうにアクセントが置かれていましたね(参考:7月16日の記事)。退場で使われる音楽、最後のほうでも出てくるのですが、背景の夕焼けにマッチして物悲しい、それでいて故郷に帰ったような感傷を抱かせます。亀姫の乗った雲を目で追い、客席東側の方まで扇子で見送る富姫、完全に舞台を自分のものになさっています。



 図書之助の登場は、私の位置からはどうしても見えませんが、やはりスッポンを使ったもののよう。ただし、ゆらゆらと動きながらなので階段か梯子で歩いて上がられているのでしょう。常に客席に体を開いて、あれ何ていうのかな。横歩きに近い動きが、とてもお上手な海老蔵さんなのです。誠実で、実直で、慎重な、青年。富姫は、前回に比べて妖しさを抑えていたように感じました。むしろ、一回目の“遭遇”では「面倒な奴が来た」ぐらいの気持ちで、もしかして下で図書之助を襲ったもの達は、富姫の指図なのでは? とおもわせる演技も。


 前日に国立劇場で『毛谷村』を観ていたためでしょうか。富姫の“恋する女”ぶりが過剰なほど伝わってきました。「帰したくなくなった」など、ともすれば播磨の守に「返したく」ない、と偉そうに聞こえてしまいがち。だけれど、ここでは素直に「帰らないで〜」と聞こえるのです。「なお帰したくなくなった」で袂を取るところなど、恥じらいが見えるのだから・・・。
図書之助が“迷い”、それでも主や親や書物に留められ決心がつかない、と帰ろうとするところ。富姫は「まだ貴方は、世の中に未練がある」と言います。『山吹』の世界がふっと入り込んできたように感じました。



 薄との会話、「屹とご縁が」でそっと富姫の手を取る吉弥さん薄は、やはりすばらしい女房だな〜と思う。あの玉三郎さんを包み込んでしまう大きさがあるのだから。だからこそね、幕開けでもそうだったけれど、調子に乗ったら止まらない、興奮したらまっしぐら、そんなところがおもしろい。


 そこに逃げ込んできた図書之助は、本当に泣いていました。全てをかけて仕えている主に疑われた哀しさ、悔しさと、仲間に追われる悲しさと。そこに富姫の「・・・手のひらを返すように・・・」がかぶさるようで、もう、泣きそうになりました(今月四作品で、泣いたのはここが初めて)。なぜ、図書之助は天守に逃げ込んできたのか。もう、拠り所がここしかなくて、殺されるなら富姫の手にかかって、と。どこでどう、そんな心境になったのか、知りたい。
 図書之助に加勢しようとする富姫は、柱の陰ですっと内掛けを脱ぎます。そうすると、腰元たちを同じ薄紫の姿になってしまう。一人の女に・・・?


 ばらばらと追ってくる武士達は、その格好から討ち入りを連想してしまう。全員がスッポンから抜けてくるのは大変らしく、こっそりと下手から登場しているのも、三階席からだとよく見えます^^; 暗闇の中でのいわゆる“だんまり”を取り入れているので、見がいがあります。図書之助が獅子から飛び出してきて立ち回る隙に、後ろの黒幕から玉三郎さんが母衣に飛び込むのが見えてしまいました・・・ごめんなさい。おっとり、ゆったりした富姫とは思えない、きりっとした動きで・・・。しばらく、もごもごと動いているのに目を取られて、玉三郎さんがいるように感じてしまいました。だから、「誰の首だ。」の登場が唐突に感じられたくらいです。ご自分の首を押さえている修理がこっけい、しかも足腰立たなくなって追手とすがりながら退場していくからおもしろい。

 悄然と、立つ富姫。図書之助の呼びかけにも応えない。微動だにしない。図書之助の、そして客席の不安をあおる。ここが、絵としてはいちばん美しいと思うところで、どこかで見たことが。。。と思ったら、乱れた髪と言い、すっとつりあがった目尻と言い、波津彬子さん(漫画家)の描かれる幽霊画に似ているのでした。



 お互いの手にかかって死のうとする二人、顔が見たい、顔が見たいと声を絞る、のですが、、、それを、“美しい絵”として眺める観客。舞台の二人がこんなにも見たくて見えない姿を、オペラグラスなどを使って見ることができるのです、観客は。とても申し訳なく、悲しくなって、でも観続けなくては役者さんに申し訳なくて、必死でした。
 思えば乱れに乱れた、富姫は真っ白で前の場面に比べれば飾り気の何もない姿なのに・・・なんて神々しい。大劇場にふさわしい拍手で、幕。

あ、祖父のことはすっかり頭から消えていました。ごめんね。でも、途中で白いライトの中に大きな羽虫が飛んでいたので、きっと観にきていたのだよね、おじいちゃん。