七月大歌舞伎(泉鏡花)その1『夜叉ヶ池』

関連記事:2006年8月22日

7月7日(初日)昼の部に参りました。初日明けて10日が経ったので、一部ですがレポートを。
「事実」と「感想」と「希望」の入り混じったものになっています。
また、例によって特に役者さんの名前が書いていないものは、春猿さんについての記述であること、ご承知置きください。

さらに。基礎情報・・・つまり出演者、筋書きなどについて歌舞伎座情報ページ、及び他の方のすばらしいブログをご覧になることをお勧めします。どうも、苦手なんですね・・・。

7月7日 金曜日(初日・七夕☆)

期せずして一等補助席に座る羽目に。天地がひっくり返って、始まる前から涙が出そうになる始末。手は汗でびっしょり、息はできなくなりそう・・・。



『夜叉ヶ池』
 幕開きから正面に女性の影が見えたので、「あ、春猿さん」と。鐘楼には段治郎さんもいらしたのですが、明るくなるまで気が付きませんでした。白髪頭のお百合さんをどのように演じられるのか。今月、一番の楽しみ。眉有りのはずなのに、どことなく透き通るような白さと弱さを感じる顔。白髪は違和感無く似合っていた(は、かなり不自然だった)。これは、難しいと思うんだな。お芝居の中の世界では本物の老人らしくあるのだけれど、舞台としては観客に変装だってことをわからせなくてはいけない。あまりしっくりはまりすぎていてもいけない。
 米を研ぎ、その手に付いたしずくを払うしぐさに『車引』での桜丸が涙をはらう手先を思い出した。やはり、この人らしい美しい形だ。夕顔に手を触れる。客席に背を向けるのではなく、横から近寄るのを見て、はっとさせられた。舞台として、客席への気遣い、と言うのかな。


 お百合さんの声は、胸に落とすような、春猿さんにしては低めの発声。ずいぶん工夫&勉強されているな。黒髪→白雪姫となるにしたがって、トーンが上がっていったから。低い声も、とても、聞き易かったと思う。安心して聞けた。私は知らないのだけれど、地声は低い方(かた)なのでは? まぁ、普段の裏声の方が好きは好きなのだけれど。「晃さん!!」って叫ぶところとか。どうしても地声だと濁ってしまって、好きになれないんですね(六月大歌舞伎での福助さんにもそんな印象が)。歌舞伎役者として成長されるにはそれだけを言っているわけにも行かない。
 細くなられた、というか、やせられたと、舞台が進むにつれ感じた。。腰周りがふくよかで女らしいのは相変わらずだけれど(人妻の役だし)、首の白さと細さが際立って感じられた。恐ろしいくらい。ぞっとするくらい。



 もっと弱々しく、いじらしい少女のような百合を予想していましたが、なんだろう。ちょっと世間を知りすぎている感があった。春猿さんが良く出される“透明感”があればもっと好きなのだけれど。そして、そうすれば最後(最期)の場面も生きると思うのだけれど。たぶん、白髪の時に見せた人懐こい(たぶん、世間を渡るための)雰囲気が黒髪の時まで残ってしまったのかな。例えば、が「山沢」と学円を呼び止めた時「晃さん」とすがりつきますが、この時はよくあるように“好きだから、自分から離れていくのが怖い”のではなく、頼り切っていて“あなたがいなくてはダメ”状態のはずなんですよね。そこがあらわされているのかどうか、少し“?”でした。とは言えさすがに、明かりを持って再登場した“若い”春猿さんの匂立つような美しさには場内ため息&ざわめきがもれていました。
 学円の物語場面では、晃が顔を出すタイミングが原作と異なっていました(原作では、牡丹餅の話をするより前)。私もこの方がしっくり来ます。玉三郎さんが意図的に、されたことなのでしょうか。
 の“物語”。最後の場面でも似たようなところがありますが、オペラならレチタティーヴォ、居住まいを正して聞きたい部分。役者さんにとってはとても大変なところでしょうけれどね。段治郎さんの語り方には、ぐいっと引き込まれるようなところがありました。もう少し、言い捨てないでしっとりと話したほうが好みなのですが・・・喉の調子の問題なのでしょうか?



 学円を見送る。腕には太郎人形・・・ってこれ、内容を知らなければ本物の(つまり百合と晃の間に産まれた)赤ん坊だと思いません!? ガイドではもちろん、「人形」と言っていました。葛飾のお十、これは写真しか拝見していないのだけれど、抱き方がどうもなぁ、って思っていた。今回もね、きっとわざと。母親らしさはなくて、そう、おままごとの人形遊び、という感じでした。そういう演技なのでしょう。でも、いい場面。「あなた」じゃなくて「晃さん」だしね。「母さんはひとりでは・・・」のセリフが良かった。座敷に上がる時の草履を脱ぐ姿、上がるゆっくりとした動きにも注目した。

 さて。白雪姫の登場・・・! の前に、もう一度登場しますね。歌いましたよ***一節だけですが。優しい声だねぇ。



そして、今度こそ白雪。すごい! これはすごい! まるで笑也さん(こういう例えは良くないけれど)のようなオーラと光と威厳を、身に付けられたのですね! 気高くて。白い透明な輝きをまとって。物理的にいってしまえば、鼻筋から腰まで全てがツン!と上を向いているような(意外と、インタビューなんかを受けていらっしゃる時のご本人に近い雰囲気)。長い、長い髪。銀に光る足袋(靴、と原作にはあります)。不思議、表情は玉三郎さんを感じさせる、なんだろう、“つるっ”としたものが。上手く表現できないけれど、色気や肉気のなさ、精神性、そういうものかな? ・・・気になったので気をつけてみていたら、やはり、瞬きはとても多いのですね。白雪の声は、頬の内側少し後ろで響かせるような。猿之助さんとか笑三郎さんも出されるね、こういう声。


 絶対にここはスッポンで登場するかと思い注目していれば、下手後ろ側から腰元衆を引き連れてお歩きあそばして。手紙を読む場面で下襲ねを“引き出す”のかと思えば“引いて、身の光で照らす”のね。「懐かしい、優しい、嬉しい」の前に見せた表情と息の詰まったような声。さすがです。あればかりは二階席から眺めたかった。「剣ヶ峰へ行くよ」と言いながら手紙をたたみ懐へ仕舞うのですが、ちょっと、いや、かなりぐしゃぐしゃ? 慌てられたのではないでしょうか?
 そして。。。狂います。ここまで狂乱するならもっと狂っちゃって〜! というのが、正直なところ。きっと、日を重ねるにつれてエスカレートする部分では。


 眷属との立ち回り。これがあるから歌舞伎は良いんだね〜。指の先までピン! としていて、手刀のようで、本当、息を止めて見つめてしまいそう。さあ、鐘を落とすぞ! というところに(普通なら見得ですね)お百合さんの子守唄「ね〜んね〜ん〜 ころ〜り〜よ〜・・・」録音ですか??? 可愛らしい声です。あれ、鐘楼の後ろにお百合さんの背姿が!!! なんと、影武者登場! いくつか、一人二役は無理だろうと思う場面があるのですが、こうして切り抜けるのですね。ここで、白雪の気持ちが変わる=表情が変わる大事な場面であったはずなのですが、、、見逃しました。こういうところ、とってもお上手なはず。鐘楼から降りてくるとき、最期の一段踏み外しかけたような・・・気を付けて下さい!!!
 花道から退場、、、えええ、素敵すぎる、と思ったところで、七三で立ち止まり、裾を引く。ライトが当たって、白い衣裳が濃い緑色に光り、苔に覆われた水の中みたい。そして、スッポンで引っ込み。「ガッタン」・・・え??? 春猿さんの身体が大きく揺れたんですけど。

 舞台暗転、場転・・・って、なんでここで拍手が起こるの!? 終わってないよ!



 直後! 村の人達に追われたお百合さんが本舞台上を逃げていきます。早変わり! じゃなくてこれも、影武者でした、たぶん。後姿しか見せなかったからね。上手に消えたところへ村人たちが追いかけ、今度こそ春猿さん。引き出されてきます。さすがにお化粧はそのまま(白雪のまま)、ですよね。前半の百合は、肌の赤みが透けるくらいの白粉のように感じられたから、不自然といえば不自然だった。考えようによってはこの時点で百合は“伝説の一部”になりつつある、白雪と同化しつつある、ということなのかな?

 欣弥さん演じる叔父の神官に「贄になれ」と諭されている時、私の好きな“片方に崩して腰を落とし、手をつく”姿勢に見ほれてしまった。あれで色気を出してはいけないんだから、難しいだろうな。「また旦那様か。晃、晃・・・」と神官が言いますが、、、実は、私もそんな気持ちだった。。。とうとう引きずられ、牛の背に縛められます。ここで結い髪を解くのですが、かなりの時間がかかっていたよう。牛の上に仰向けに乗せられる姿勢は、周りで大勢支えているとはいえ辛いだろうな。「顔を伏し」も見てみたかった。でもあれに“美しさ”を感じるんだから日本人って、というか私って。。。
 瞬く間も無くが助けに登場。ああ、良かった。お百合さんを牛の背からまさに“引きずり降ろして”舞台中央へ連れてきますが。・・・なんか、歩かせてませんか? せめてもう少し抱きかかえて連れてあげてほしかった。全体的に段治郎さんはどうも愛情、言い換えれば“守ってる感”が伝わらないんだな。その点右近さん学円百合さんを庇ってる感がすごく自然で、女形のほうは気を付けないと本気で縋ってしまいそう。
すがると言えば、村を出ようとしたに「百合は置いて行け」の声がかかった時、の袖にすがる百合の仕草がとても子どもっぽくて。あれ、袖にすがっているの? それとも腕・・・? あ、書いていてどきどきしてきちゃった^^; 乱れ髪の春猿さん、妙に現代っぽくて、その辺にいそうな気がして、不思議な感じだった。よく考えれば”現代”なのだけれど、なにかしっくりと心に収まらない。悪い意味ではもちろん、ありません。ただ、鏡花によく出てくる“妖の者をあらわす髪形”に近いものがあるのかな。そしてこの後、百合が死を決意する、白雪に、少しずつ近づいていく、のかな。そこまでは観劇中は考えられず、見て取ることもできませんでした。


 気がつくとは舞台前面で薪車さん穴熊鉱蔵と向き合い(私は好きですよ、この方のお声)、百合学円に守られています。晃さんが立ち上がるときの百合を見たかったな〜。ここでは心配そうにしているのだけれど、比較的淡白な演技。一太刀ごとに戦慄いたりは、しない。まあね、視線を百合に集めてはいけない場面なわけですし。
 鐘楼に追い詰められてからは、短いのだけれど緊張感が高まる、という感じはあまりしなくて。に石がぶつけられて鎌を取り落としたところで、ハッとした。ああ、もう終わりだ〜。終わってしまう〜。お百合さん、さようなら〜。原作、漫画化されたもの、読む度に思うのですが、ここは胸を突くんですよね、鎌で。なんとなく、喉をかき切るようなイメージがあります。生々しくってごめんなさい。ともかく、、、百合は、、、死にます。「茨の道は負って通る」・・・なんだかとても、西洋風の表現ですね。そして、の「神にも仏にも恋は売らん」のセリフは、少し前の白雪の「生命のために恋は捨てない」に通ずるものを感じました。



 大洪水。花道と舞台上手から水布を持った、あれは“影法師”かな? ゆっくりと歩いてきます。バレエを想像させるような動き。舞台では村人たちが大慌て。私の注目は、鐘楼の上で死んだ、しかも段治郎さん晃さんに覆いかぶさられた春猿さん百合がいかに白雪に早替わりするのか。・・・何のことはない、鐘楼ごと舞台後方の暗闇に連れて行かれてしまいました。波がうねり、眷属たちが登場し、そして・・・。神々しいまでの白雪姫。。。優しい、表情(もう少し優しくても嬉しいけど)。「一緒に歌を、うたいましょうね」の最後が「歌いましょうねぇ」と、春猿さん独特の、少しトーンを落として消え入るような声だったのが印象的、心にほわっと声が残る幕切れ。
 拍手は少々、ぱらぱら。

泉鏡花の印象に残ることば
あなた」・・・これ、「貴方」と「貴客」と「貴女」、書き分けられているんですよね。妻が夫に、夫が妻に、女が客に、女房が奥方に。こんかいのお芝居では口調に色っぽさが混じるのに、意味には色がない。不思議。

涼しい」・・・以前にも取り上げました。今まで気付かなかった数箇所、このことばが使われているのに気付きました。

ええ、あの」・・・女性限定だけど。“言い澱む”って、大切なことだと思う。その瞬間にある“なにか”を汲み取れる人は、すごい。

いくつか「あれ?」と感じてしまったところはただ単に、私の持っていたイメージと重ならなかった、というだけ。良し悪しは、わかりません。
けれど、一週間後に再び観劇した時には、そのほとんどについて変わっていました。日を重ねるごとに、皆さん研究していらっしゃるのがわかりました。それについてはまた・・・。

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