七月大歌舞伎(泉鏡花) その・・・?? 『夜叉ヶ池』

関連記事:2006年8月22日

いつものことではありますが、「事実」と「感想」と「希望」の入り混じったものになっています。

また、例によって特に役者さんの名前が書いていないものは、春猿さんについての記述であること、ご承知置きください。

さらに。基礎情報・・・つまり出演者、筋書きなどについて歌舞伎座情報ページ、及び他の方のすばらしいブログをご覧になることをお勧めします。どうも、苦手なんですね・・・。

付け加えるならば、「ものすごく細かい話」と「観念的な話」が同時に書かれています。過去の『夜叉ヶ池』感想と比べてお読みいただけると、少しはわかりやすいかと思います。

『夜叉ヶ池』

9時ごろに着くと、まだ10人も並んでいない。少ないな〜と思っていたが、発売時間には既に立ち見。券を買う窓口でお囃子と拍子木の音が聞こえるのが嬉しい。心がわくわくと浮き立つ。



 初めて、下手側の席に座ってみた。それは、座敷の中や戸の開け閉めを見たかったから。下手側の障子ははじめ開いているのだと初めて知った。西席だと、もっと中まで見えるのかもしれない。それから、正面を向いて話しているように見える段治郎さんが、頻繁に下手側に顔を向けているようにも感じた。


 幕開き、それから晃が座敷に入ってから百合が家の裏に入る場面での三味線が効いている。効果音で言えば、が夕日を眺めながら情景描写をする場面での蝉の声とか。“静寂”という名の効果音が、一番かもしれない。
 段治郎さんは、優しく発声するととても澄んできれいな声になる。春猿さんは、言い回しなど初日から大きくは変えられなかったようだ。けれど、白髪の場面ではより低めに、落ち着いて、聞こえた。見ているこちらに余裕があるのか、セリフや動きがとても、とてもゆっくりに聞こえた。
 雰囲気とちょっと微笑む感じは老婆、紛れもなく。なのに、赤みがかった顔と不思議そうな、人形のような表情が子どものように透き通っていて、そのギャップに「お幾つじゃな」と、学円ならずとも不思議に思う。小川と夜叉ヶ池の話をする場面では、劇場全体がシーンと静まり返って、本当に良い空間。学円を追って出てきたにを止める場面、確か“胸に手ついて”だったはずが、楽では抱きついていた^^・・・かなり、高ぶっているように見えた。


 この日だけでなく27日にも面白いと思ったのが「まあ・・・じゃない、ちゃんとご挨拶しな」をがおかしそうに噴き出しながら言ったこと。一瞬、本当に段治郎さんが笑ってしまわれたのかと思ったが、この日も同じだったから、演技なのですね。段治郎さんの口調が、どこでもとても柔らかく感じられたのも、収穫。
 初日から気になって気になっていながら、ついにレポには書き落としていた事があります。弥太兵衛を、「七十九(しちじゅうく)になるじいさんがいた」と話すのだが、最初「四十九(しじゅうく)」だと聞き取っていて、生まれた時から「五十年この方」鐘を撞いていたのか〜バケモノだ〜とか、勘違いをしていたのでした^^;



 初めて気になったのだけれど、御坊鯰入はどこの言葉で話しているのだろう? 「峰の空に(みのそに)」がとてもきれいなトーンで印象的だった。この方(?)の頭上にもしっかり、鯰がついていたのですね。黒いから、気づきませんでした。



 白雪姫は、これまでにない激しさだったのではないかな。「このおふみの、許へだよ。」では、右手を前に差し出しながら左足が一歩前へ。なるほど、だから身体が正面を向いて美しい立ち姿になるのね。「懐かしい・・・便りを聞いた」まで夢見るように目を瞑って、それからパチッと開ける、いや、見開く。いい眼をしていらっしゃる、そのうえ間が良い。
 激しくなっても、「ら」とか「か」が聞き取りやすくて、何とはなし、いつものはただの癖なんだと思うと安心(?)する。の優しさ、白雪姫を思う気持ちが日を追うごとに増していて、そうすると白雪姫があんな風に恋しさを表現するのもわかってくる。もしかして、我儘を言ってみてるだけ? と。思いのままに生きている、そんな妖怪の側面。「恋しい人の文を抱いて・・・姥、許して」でぐるぐる、じたばたする演技には首を傾げてしまった。けれど、その場面の声が好き。思い出すと本当に、我儘っぽく聞こえてきて、今にして新たな発見をした思いだ。


「夜叉、悪鬼・・・」はいつも、始まりがわからずに聞き取り損ねてしまうので、今回はしっかり耳に焼き付けてきた。残念ながら、やはりしっくりこない。たぶん“恋するお姫様”と“大池の主”を上手く一緒に捉えられていないんですよね、私が。お姿には威厳を感じるのだけれど、内面的な威厳を、受け取ることができなかった。
立ち回りが・・・もう、なんども書いているけれど、これが始まると呼吸も身動きもできなくなるほど。ピンと反った手先が本当に美しくて目を奪われる。特に影法師たちに巻かれてくるくると回る姿なんて。。。普通の歌舞伎なら間違いなく、大拍手の場面だと思う。


 子守唄が、優しくて優しくて。白雪姫が「人形抱いて・・・と言いながら」石段を降りる時に流れる歌声は、百合の、というより白雪姫のもののようにも聞こえる。



 村、最後の場面で一番インパクトがあったのは学円だった。「いまだかつて・・・」とか、晃が死ぬ瞬間に祈る場面。リアルタイムで鹿見村にいる、ある意味観客でもある学円だから。まっさらなつもりで見ていた私に一番近い存在だったのかもしれない。
 の再登場も私が見た中では一番激しかった。馬の前についた村人たちを本当に突き飛ばしていた。さらに、「死ね死ね!」と詰め寄られた薪車さん穴熊鉱蔵はしりもちをついた瞬間に帽子が落ちてしまう(汗)ほどの勢いだった。
 細かいはなしで恐縮だけれど、鐘楼に逃げ上がる時、春猿さんはいつも最上段に腰をついて両足で上がる。妙に色っぽくて、つい目を惹かれてしまう動きのひとつでした。


 一回だけ、ハプニングがあったような気がします(違ったらごめんなさい)。の取り落とした鎌が後ろのほうへ行ってしまって(一瞬、落っこちたのかとハラハラしました)、段治郎さんがこっそり後ろから春猿さんに手渡していたようでした。気付かなけりゃ気付かないで済む、そんな悲しさ。
死ぬ瞬間は、震える手での手を取ろうとしていたようでした。お芝居っぽい動き、悪くはない。優しく横たえられたときの表情と手がね、子どものようで、とても小さく見えた。・・・で、その手の上にまともに落っこちた段治郎さん^^;


 この場面があまりに感動的で、覚めやらぬままに洪水が起きてしまう。あの大音響の中で欣弥さんはじめ村人たちの「助けて〜」の声がはっきり聞こえる。ほんとにこれで、彼らは人間に戻ることはない(お芝居なら、翌日になれば戻れるからね)。
 さらに覚めやらぬまま、白雪姫を迎える。なんだか全てがわかっていたような、主の風格を持ち合わせる、少なくともお姿にはね。結局。約束を破ったのは人間だったのか。衝撃的な感動というものはないまま。けれど、真っ白な光に包まれて輝く姫、それから舞台の皆さんに、感謝の気持ちをいっぱい込めて拍手をした。

トトロじゃないけれど、白雪姫は今でも眷属たちを相手に我儘を言って、たまに百合と遊んで。“つくりもの”の舞台は終ったけれど、本当の夜叉ヶ池には何十年も昔からいるのかも知れないじゃない。そんな事を想像できるのが、幻想物の良いところ。


 その後。学円は鐘撞堂の上で目覚めて、朽ち果てた家を見つけるのか。もしくは、駅のベンチで目覚めて「あ、これから山を登るんだ。変な夢を見たな。」そこへ駅の人が来て、「麓の村は昔、こういう事があって湖に沈んだんです。」と“物語”を聞かされるのかな。それとも、「時ならぬ大雨で沈んだ」と聞かされる村の真実を知るのは学円ただひとり、とか。
『夜叉ヶ池』は、学円の口を通して語られる、“物語”だったのかもしれない。

あまりまとまっていないので、また手を加えたいと考えています。